伊豆大島
今日は待ちに待った給料日。
財布の中には300円しか入っていない。
昨日、会社帰りにクレカで新日本プロレスのチケット(¥8,500)を買った。
お正月旅を控えている私にとっては痛い出費だが、これだけは外せない。
3列目3番。
観戦に行く度にリングに近づいている。
来年か再来年にはリングの上で闘っているかもしれない。
【伊豆大島 2015年12月~2016年1月】
今から5年前の2013年10月16日、伊豆大島で大規模な土砂災害があったことを覚えている人はいるだろうか?
私と姪っ子はその年の9月、神津島へ行く途中に経由した伊豆大島を寝ぼけ眼でフェリーの上から見ていた。「大きい島だねぇ」と、姪っ子に言ったのを覚えている。
その1か月後、TVで流れてくる土砂災害の映像や救助活動の様子を見て、「嗚呼、あの島があんなことに・・・」と他人事とは思えなかった。
災害発生から2年が経った11月、母がお正月はどこかの温泉にでも入ってゆっくりしたいと言い出した。
11月ともなれば既に人気のホテルや旅館は予約で満室だ。
お正月プライスで料金もアホほど高い。
しかし、6月に愛猫(老猫)を亡くし、1年間はどこにも行かず、献身的な介護をしていた私達親子には止まっている時間を動き出させるきっかけが必要だった。
猫を失った悲しみに暮れる波長と土砂災害で家族を失った方たちの波長が、なんとなく合っていたのだろうか?なんとなく引き寄せられるように伊豆大島行きのフェリーやホテルの事を調べ始めた。
ホテルとフェリーを個別で手配するよりもツアーの方が安い。
神津島へ行った時にお世話になった旅行会社のHPを見ていたらお正月も空いていたので、早速手配することとなった。
ツアー料金は¥36,900だったが、災害復興支援金の適用で¥27,900、行きのフェリーの等級を特2等にして+¥2,400、合計で¥30,300だったような・・・。
現地で2泊すると1人¥9,000の割引がされたので、2人で¥18,000の割引。
旅行代金が安くなるのはありがたいが、災害から2年経った今でも復興支援金制度があることに悲しくなった。伊豆大島の人達が、まだあの悲しみから救われていないのではないかと勝手に心配したりして。
12月30日、フェリーに乗る前に新宿に出て夕飯を食べ、竹芝桟橋に向かった。
旅行好きの母だが、伊豆大島は初だったのでテンションが高かった。
出航してからしばらくは甲板で夜の景色を見ていた。
東京湾から大海原に出ると、そこにはもう暗い海しかないので、景色を堪能しに来ていた人々もそれぞれの席に戻っていく。私と母も席に戻った。
特2等は2段ベッドになっていて敷布団はない。船内で配られる毛布(¥100)を掛けて眠った。
船の揺れで夜中の3時に目が覚める。気持ちが悪い。
神津島の時は酔わなかったので今回も酔い止めを飲まずにいたが、のそのそ起きてアネロンを飲む。歩けるうちに受付に行き、エチケット袋を多めにもらいに行く。
30分位すると酔い止めが効いてきたがものすごく船が揺れていたので、この後1日船に乗っているような、足がふわふわした感じが抜けなかった。
船内に”われは海の子”のメロディーが響く。
朝6時半、伊豆大島に到着。
まだ暗い港にはレンタカー会社の車が沢山。
私達もレンタカーを予約していたので、ワンボックスに乗ってレンタカー会社へ行く。
レンタカー会社というよりは副業でレンタカー会社を営んでいる個人経営の雰囲気だったので、いざこちらの車ですと案内されたワゴンRは正直「大丈夫かな?」と思ったが、ナビも付いてるし、郷に入れば郷に従えだし、何よりこのワゴンR以外、他のレンタカー会社はいっぱいで予約を取れなかったわけだから仕方ない。
離島で足がない人々は腰を低くし、島人を怒らせてはならぬと、この時は思った。
受付を済ませ、大晦日の静かな島をぐるりと1週。
椿の道。あと1か月もすれば椿の花が見頃だろう。
”泣かないで。この道は未来へと続いている” 吉田拓郎の歌を思い出す。
椿花ガーデンはまだ誰もいなかった。
島にはあちこち猫がいる。良い魚を食べているからだろう。野良なのにふくよか。
見晴らし台から移動してすぐにレンタカーのタイヤがベコベコ鳴り出した。
パンクなのか空気漏れなのかわからないが、運良く目の前がGSだったので入った。
GSのご主人曰く、空気漏れなので空気を入れれば走れるようになるとのこと。
まだ観光を始めたばかりだったのでここで時間ロスは痛いと思い、すぐにでもエアーを!と懇願する。
その間にレンタカー会社へ電話して状況を説明。予想はしていたが、すぐに代替え車はないと言う。待ってもらってもあと3時間位はかかるかもしれないと・・・。
空気は自腹で入れてもらう事になると言われ、がっくり。
GSのご主人が「レンタカー会社は何て言ってた?」と聞いてきたので、空気は自腹で払う事になった旨を伝えたら「代金はいらないよ」と言ってくれた。
神様のようなGSのご主人だった。
2015年の大晦日、路頭に迷いそうな私達親子を救ってくださった。
次に伊豆大島へ来る時は必ず手土産を持ってきますと心の中で誓った。
波浮港の民家。目指していた寿司屋は休みだった。
間伏地層切断面(通称バウムクーヘン)
ウォーリーを探している場合ではない。
三原山ハイキング
お腹が空いていたので、元町にある寿し光でべっこう寿司でも食べようと向かったが、大晦日は休みだった。
途中、あべとらでお土産を購入。
お昼は”ともだち”という食堂で食べた。
くさやがどんなに臭い物か試してみたいと思っていたので挑戦した。結果、母も私もそれ以降「くさや」という言葉を発していない。たまにTVで見かけることもあるが、2人とも顔を見合わせ無言でチャンネルを変える程。私達が酒好きだったならば、また違う未来が待っていたかもしれないが・・・。
お昼を食べて、混浴の浜の湯(¥300)で温泉に浸かりながら夕日を見た。
私は水着を持って行ったが、母は作務衣のような物を借りて入った。
レンタカーを返す道すがら、シャロン洋菓子店を見つけたので大島たまごケーキを買おうと入ったが、売り切れていたので大島牛乳プリン(¥330)を買ってホテルで食べることにした。
元町港まで送ってもらい、大島温泉ホテルの送迎バスでホテルに向かった。
途中、土砂災害現場を通ったがまだ完全に復旧されておらず、2年の歳月を感じさせない。私達部外者は”もう2年”という感覚だったが、島の方達にしてみれば”まだ2年”なのだ。
まだ数カ月前の出来事のような道路の復旧具合に、送迎バスの中の空気が悲しみに満ちたような気がした。
ホテルに到着して夕飯を食べた。
復興支援金で通常よりお安く伊豆大島に滞在することができるので、前もってホテルに1泊目の夜はアワビを、2泊目の夜は伊勢海老を予約しておいた。
「時価」となっていたのでドキドキしたが、それぞれ¥5,000だった。
合計しても¥10,000。復興支援金が¥18,000だったのでマイナスにはならない。
大島温泉ホテルでは椿油フォンデュが食べられる。
椿油で揚げる明日葉の天ぷらがとても美味しかったので後に明日葉の苗を取り寄せたが栽培に失敗し、家で明日葉を食べたのは数える程だった。今日摘んでも明日には葉が出てくるから明日葉と言うんじゃないのかい?
夕飯を食べ、露天風呂に浸かりながら空を見上げると飛行機が何基も飛んでいくのが見える。
羽田空港から飛び立った飛行機だろうか?
ずっと見ていても飽きなかったが、逆上せてきたから「次の飛行機が来たら出よう」と母と決めた途端に飛行機がなかなかやって来ない不思議。
この日は大晦日だったので、夜中に年越し蕎麦が振る舞われた。
蕎麦の為にいそいそとパジャマ姿で部屋から出てきて蕎麦をすする客達。
元旦は露天風呂から初日の出を見た。
熱海から来たというおばあさんと話しているうちに雲の下から朝日が上がってきたので、「朝日ですよ!」と声をかけようとしたら・・・おばあさんは朝日に向かって拝んでいた。
正月は好きなだけ眠り、風呂に入り、酒を飲んだ。
夜、ちらちら降ってくる雪を見ながら露天風呂に入っていると、地元の保育園に通っているという女の子が私の指に塗ってあるネイルを触ってきた。珍しいのだろう。「大人になってからだよ」と言ったら嬉しそうに笑っていた。人懐っこいかわいいこだった。風呂から上がって部屋に戻り、持ってきていたおやつとみかんを袋に入れてロビーに行った。ちょうど女の子がお父さんとお母さんと一緒にいる所だったのでおやつ袋を渡した。
1月2日、起きるとうっすらと雪が積もっていた。ゴジラも凍えているだろう。
帰りは岡田港から。
時間までハマグリとサザエを食べたり猫に遊んでもらったりして過ごす。
前日の海は大荒れで船の揺れも凄かったらしい。
帰りはジェットボイルあっという間に竹芝桟橋に着いた。
船は思ったほど揺れなかった。